技術記事は誰が為にあるのか

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なぜ記事を執筆できないのか

最近、技術記事を書くのが一気に億劫になった。
それ自体に原因はいくつかあれど、一番は記事を書くことへのモチベーションが下がってしまったことかなと感じる。

以前はちょっとしたことにハマっては自分への備忘録として記事を書いていたものであるが、最近では誰かに見られる記事を書こうという意識が強くなってしまった。
つまりは昔よりも書き物としての技術ブログを書こうと意識するあまり、記事執筆のハードルが上がってしまっている。

私は別に物書きになりたいわけではないし、技術記事や技術書で一旗揚げたいわけではない。
それなのに、技術記事を気軽に書かないのはあまり良い状況とは言えない。

技術記事は何のために存在していて、誰の役に立っているのかを考えてこの技術ブログを始めようと思う。

昔のモチベーション

昔、ここでは私が学生時代のころのことだが、就職活動の自己PRに使える程度には積極的に技術記事を投稿していた。

その時のトピックは主に備忘録のような内容の薄いものや直近で熱心に調べた情報をまとめたようなものが多かった。

当時の私は学生で、しかも周りに技術に明るい人がいなかったので自分の成果を技術記事としてのアウトプットでしか発散できなかった。
また、自分の書いた記事が Twitter などで言及されるのも楽しかった。

そして何よりも、学ぶ事が楽しく、学んだ事をアウトプットすることが楽しかった。

今のモチベーション

現在、私はフロントエンドエンジニアとして仕事に従事している。

業務でのインプットなりアウトプットは学生時代のそれとは比較にならないほど膨大で難しく、刺激的なものばかりだ。
また、私が会社でリードエンジニアのような働きをしていることから、日々のインプットが誰かの課題を解決するような経験も多い。

つまり、技術記事というアウトプット以外でのアウトプットが充実し待っている状態なのだ。

十分にアウトプットできる環境に身を置くと技術記事でのアウトプットのモチベーションは下がってしまうようだ。

技術記事は誰のため?

昔であれば未来の自分のためだと答えそうなものであるが、今の自分だとどうだろう。
私自身、昔よりも一次情報や何ならソースコードに当たって問題を解決しようとすることが増えてきた。

つまり、以前よりも誰かの残した技術記事に頼る機会が減っているのだ。
技術記事に触れる機会が減ってしまうと自身も技術記事を書かなくなるという関係は少なからずありそうだ。

しかし、考えたい。
もとより技術記事はどんな内容であろうとも誰かの役に立つ可能性があるものだ。

たとえば、自分がソースコードを直接確認して解決した問題でも、誰かはその過程をたどらずに問題解決ができるようになる。
つまりは私が技術記事を書く事によって、誰かが消費するはずだった調査時間を節約させられるかもしれないのだ。

当たり前のことではあるが、直近の私はこの側面を忘れてしまっていたため、ここで改めて意識したい。

そして、知見になるためだけであればフォーマットは関係がないはずだ。
気負わず、事実のみを羅列したような内容になったとしても、誰かの役に立つと思える事象は積極的に残して行こうと思う。

プラットフォームの使い分け

とはいえ、たまにはきっちりとした技術記事を書くモチベーションが沸いてくることもあるだろう。

その場合には Zenn に投稿することとしよう。

その他の雑多な記事や調査ログなどはこのブログに残していくこととする。

技術記事は誰かの役に立つだろうという信念を旨に、新しいブログを始めていこう。